木霊、言霊。

備忘録か、遺言か、ラブレターか。

運命

散々、傷付けた。

散々、傷付いた。

散々、間違えた。

散々、後悔した。

 

散々、失った。

散々、迷った。

散々、繰り返した。

散々、遠回りした。

 

ようやく辿り着いたこの場所で、僕は生きている。

 

この場所に辿り着いたのは、偶然なのだろうか。

この場所に流れ着いたのは、必然なのだろうか。

 

 

 

人生の岐路に立たされる度に、決断を迫られてきた。

模範解答など何処にも無い難題を、目の前に突き付けられてきた。

 

その度に悩んで、答えを出した。

その度に迷って、覚悟を決めた。

"あの日"の僕の答えは、本物だった筈だ。

"あの日"の僕の覚悟は、本物だった筈だ。

 

それでも、考えてしまう。

 

"あの日"の答えは間違っていたのだろうか、なんて。

"あの日"の覚悟は間違っていたのだろうか、なんて。

 

こんな結末を迎えることが僕の運命だったのだろうか、なんて。

 

 

 

 

 

過去と現在は繫がっている。

 

過去が無ければ、現在は存在しない。

過去があるからこそ、現在が存在するのだ。

 

"あの日"と今は繋がっている。

 

"あの日"の僕が居なければ、今の僕は存在しない。

"あの日"の僕が居たからこそ、今の僕が存在するのだ。

 

正解か不正解かなんて、関係無い。

正解か不正解かなんて、些細なことだ。

 

過去の自分を否定することは、現在の自分を否定することと同義だ。

現在の自分を否定することは、過去の自分を否定することと同義だ。

過去の自分を肯定することこそが、現在の自分を救うことの出来る唯一の手段だ。

現在の自分を肯定することこそが、過去の自分を弔うことの出来る唯一の手段だ。

 

何度でも、失敗して。

何度でも、反省して。

何度でも、後悔して。

何度でも、絶望して。

 

それでも歩き出したその一歩こそが、自らの魂の価値の指標となる。

それでも歩き出したその一歩こそが、自らの魂の美しさの証明になる。

 

 

 

 

これまでの人生は、最初から用意された台本をなぞったものだったのだろうか。

これまでの人生は、最初から用意された脚本が何処かで狂ってしまったものだったのだろうか。

 

最初から結末が分かっている物語を、誰が最後まで見届けたいと思うだろう。

最初から運命に縛られている人生を、誰が最後まで生きてみたいと思うだろう。

 

僕の涙は、僕だけのものだ。

僕の罪は、僕だけのものだ。

僕の後悔は、僕だけのものだ。

僕の人生は、僕だけのものだ。

 

僕が弔わずして、誰が弔うというのだ。

僕が償わずして、誰が償うというのだ。

僕が許せないものを、誰が許せるというのだ。

僕が愛せないものを、誰が愛せるというのだ。

 

僕が僕として生きてきた人生を、運命なんかに委ねて良いのだろうか。

あなたがあなたとして生きてきた人生を、運命なんかに委ねて良いのだろうか。

 

運命という詐欺師に、操られてしまって良いのだろうか。

運命という道化師に、踊らされてしまって良いのだろうか。

 

 

 

一人きりで生きていける程、人間は強くない。

 

だけど、運命なんてものに縋らなければ生きていけない程、人間は弱くない。

 

自分で選んだ生き方を運命の所為にするような生き方は、絶対にしたくない。

 

僕たちの人生を縛り付ける呪いを運命と呼ぶのなら、そんなものはいらない。

 

 

 

 

 

運命なんて、クソ食らえだ。