木霊、言霊。

備忘録か、遺言か、ラブレターか。

教室という名の水槽

気が付いたら、其処に居た。

 

規則正しく並べられた、机と椅子。

一段高い所からその存在を主張する、教卓と黒板。

木造の空間を支配する、埃とチョークの匂い。

過ぎ行く時間を断ち切ろうと企む、チャイムの音。

 

水槽の中で飼われている魚のような、息苦しい日々だった。

 

同じ水槽の中に入れられた他の生き物たちと、事あるごとに比べられた。

同じ水槽の中にいる少し身体の大きい生き物たちから、事あるごとに評価された。

 

比べられることも、評価されることも不愉快だ。

比べられる筋合いも、評価される謂れも無い。

 

そもそも、お前は一体誰だ。

そもそも、僕は一体誰だ。

 

 

 

こんな場所で何年も暮らしていかなければいけないのか。

そう思うと、酷く憂鬱な気分になった。

一刻も早く、この生活から卒業したかった。

一刻も早く、この空間から解放されたかった。

 

 

 

六年間にも渡る水槽の中での生活に、終わりが訪れることになった。

 

やっと、卒業出来る。

やっと、解放される。

 

長い刑罰を終えて釈放された囚人のような、未来への不安と僅かな期待を抱いて、僕は卒業した。

 

これで、自由の身だ。

 

そう信じて、疑わなかった。

 

 

 

 

 

しかし、現実は残酷だった。

 

僕はそれまでとはまた別の、それまでよりも少し大きな水槽に入れられた。

 

それどころか、心身が肥大化するに伴って、大きな水槽へと移し変えられていくようになった。

 

刑は、終わらなかった。

 

 

 

 

 

大きな水槽になればなるほど、自由に行動出来るようになった。

大きな水槽になればなるほど、自分の行動に責任が伴うようになった。

 

大きな水槽になればなるほど、美しい景色を見られるようになった。

大きな水槽になればなるほど、その世界における自分の存在が小さくなった。

 

水槽が変わる度に、縄張りが広がった。

他の生き物たちに縄張りを奪われないようにするだけで精一杯になった。

 

水槽が変わる度に、環境が変わった。

目まぐるしく変わっていく環境に適応するだけで精一杯になった。

 

水槽が変わる度に、身体が傷付いた。

生存競争や病気によって傷付いた身体を守り抜くだけで精一杯になった。

 

水槽が変わる度に、心が腐敗した。

止まらない自分の心の腐敗を食い止めるだけで精一杯になった。

 

奪われないように戦った。

殺されないように戦った。

死なない為に戦った。

生きる為に戦った。

 

それなのに。

 

縄張りは奪われてしまった。

環境は変わってしまった。

身体は傷付いてしまった。

心は腐敗してしまった。

 

気が付けば、死んだ魚のような目をした少年が一人で佇んでいるだけだった。

 

お前を其処まで追い詰めたのは、誰だ。

お前を其処まで追い詰めたのは、お前だ。

 

自分を此処まで追い詰めたのは、誰だ。

自分を此処まで追い詰めたのは、僕だ。

 

そもそも、お前は一体誰だ。

そもそも、僕は一体誰だ。

 

もう、何も分からない。

 

死刑よりも残酷な結末が、口を開けて待ち受けていた。

 

 

 

 

 

水槽の中で飼われている魚のような、息苦しい日々だった。

 

協調性だとか、社会性だとか。

集団の中で生きる術ばかりを教えられた。

 

感性だとか、才能だとか。

個人の力を活かす術は何一つ教えてくれなかった。

 

悲しい時には大声で泣いても良いなんて、誰も教えてくれなかった。

苦しい時には弱音を吐いても良いなんて、誰も教えてくれなかった。

 

大事なことは、誰も教えてくれなかった。

 

 

 

死なない為には、水槽の中から逃げ出す勇気を持たなければならない。

 

生きる為には、飼い主に飼い馴らされない意志を持たなければならない。

 

 

 

 

 

かつての僕にとっての水槽は、教室だった。

 

 

 

今の僕にとって。

今のあなたにとって。

 

水槽とは、何だ。