唯一無二の贈り物
今日は、父の日だ。
父に感謝の気持ちを伝える日だ。
ここ何年かは、ネクタイやハンカチ、酒などを店で買って来て、それを感謝の印として贈ることが僕の中では恒例となっている。
勿論、今年もそのつもりだった。
しかし、何故か今年は父の日を迎えた途端に、本当にそれで良いのだろうかと思ってしまった。
形はどうあれ、相手に想いを伝えることが大切だ。
ずっと、そう思っていた。
散々相手のことを考えて、散々悩み抜いて選んだものならば、相手はきっと喜んでくれる。
ずっと、そう信じていた。
だけど、それはただの自己満足で、ただの独り善がりでしかなかったのではないだろうか。
何故か不意に、そう思ってしまったのである。
幼い頃は、父の日には手紙を書いてそれを読み上げるだとか、手作りの肩叩き券を作るだとか、そういう風なことをしていた記憶がある。
下手くそな字で、しわくちゃの紙で。
贈り物と呼ぶには、余りにもお粗末で。
何度も間違えて、何度もやり直した。
何度も書き直して、何度も破り捨てた。
お世辞にも綺麗な仕上がりだとは言えない、不恰好な贈り物だったと思う。
だけど、懸ける想いは本物だった。
世界に一つしかない、僕から父への手紙だ。
いろいろな意味で、唯一無二の贈り物だった。
だけど、今の僕はどうだろう。
知らない誰かが作ったものを金で買って、それを我が物顔で相手に贈っている。
確かに、僕が作るよりもずっと洗練されたものを、相手に贈ることが出来ていると思う。
しかし、その贈り物は誰かが作ったものを贈っているに過ぎないのだ。
その贈り物自体に、最も大切であるはずの贈る人の想いが宿っていないのだ。
僕はいつの間に、大切な人に想いを伝える為の大切な贈り物を、金で済まさせてしまうような人間になってしまったのだろう。
いつの間にか、相手に想いを伝えることが目的では無くなっていたのかもしれない。
いつの間にか、相手にものを贈ることが目的になってしまっていたのかもしれない。
感謝の気持ちを伝えたいという想いが確かにある。
だからこそ、贈り物をしようと思ったのだ。
想いは目に見えないから、目に見える形で伝えようと思ったのだ。
言葉では形が残らないから、形の残るものを贈ろうと思ったのだ。
その想いは紛れも無く、本物であるはずだ。
そうじゃなければ、最初から贈り物なんてしようとも思わない。
あの頃よりは、相手を想う心の大切さを強く感じるようになったはずなのに。
あの頃よりも、相手を想う心の純度が失われてしまっているような気がした。
形はどうあれ、相手に想いを伝えることは大切だ。
しかし、伝えるという"行為"に重きを置くことで、何か見失ってしまっているものがあるのではないだろうか。
いつ、伝えるか。
何処で、伝えるか。
誰が、伝えるか。
何を、伝えるか。
何故、伝えるか。
どうやって、伝えるか。
大切なのは、相手を想う気持ちと些細な心配りだったはずだ。
伝わりさえすれば、何でも良いのだろうか。
伝えることさえ出来れば、何でも良いのだろうか。
本当に、それで良いのだろうか。
僕は、この世に一人しかいない。
僕の父も、この世に一人しかいない。
それなら、僕にしか出来ない想いの伝え方があるはずだ。
あなたは、この世に一人しかいない。
あなたの父も、この世に一人しかいない。
それなら、あなたにしか出来ない想いの伝え方があるはずだ。
下手くそな字でも、しわくちゃの紙でも。
贈り物と呼ぶには、余りにもお粗末なものでも。
何度間違えても、何度やり直しても。
何度書き直しても、何度破り捨てても。
誰かの言葉では無く、あなたの言葉で伝えることにこそ価値がある。
誰かの想いでは無く、あなたの想いを伝えることにこそ意味がある。
あなたの想いは、あなたにしか分からない。
あなたの手紙は、あなたにしか書くことが出来ない。
伝えたい人は分かっている。
伝えたいことは決まっている。
それだけあれば、大丈夫だ。
たとえ宛名は無くても、ちゃんと伝わるはずだ。
唯一無二の贈り物の差し出し人は、あなたしかいない。
唯一無二の贈り物の受け取り人は、あなたの心に住むあの人しかいない。
僕の想いは、僕の言葉で伝えなくちゃいけない。
あなたの想いは、あなたの言葉で伝えなくちゃいけない。
相手を想うその気持ちこそが、世界に一つしかない唯一無二の贈り物になるのだから。
今日は、父の日だ。
父に感謝の気持ちを伝える日だ。
この世に一人しかいない僕から。
この世に一人しかいない僕の父へ。
どうせ想いを伝えるのなら、唯一無二の言葉で伝えたい。
どうせ何かを贈るのなら、唯一無二の贈り物を渡したい。
僕は、手紙を書くことにした。
あなたは、どうしますか。